昭和四十五年六月七日 夜の御理解
御神訓に「陰とひなたの心を持つなよ」と。裏表の心があってはならん。これは神様が御覧になって、一番心を動かされるのは、善にも悪しにもその事だと思うですね。言うておる事、行うておる事が違うといったような事ですけれど。心という事が神様の心を動かすなら形の上の事が、やはり人間の心を動かすというか、はあ、あの人は立派な人と思いよったところが、その人の陰の姿を見た時にがっかりするような場合がありますよね。そこんところが私共やっぱり慎みという事だと思うんですけれども。いわゆる陰とひなたの心を持つなという事は、陰とひなたの形の上にも、そうあってはならないという事を信心させて頂く者はやはりそういう慎みを持っておかねばならないと。そういう意味で昨日の朝の御理解のように、初な心というでしょうかね、初な心が私は大事だと思います。
段々信心させて頂いて、まあ初めの間はほんとに、こう初なところが取り柄と思うておったのが、段々一年、二年とたっていくうちに、何と申しましょうかね、形が崩れてくるという事は、感じのいいもんじゃありませんね。それが例えば反対にあの人は、もうほんとに十年前も今日もひとつも変わんなさらん。もう形の上にもほんとに【 】に慎み深い人だという事になれば、そういう人達の上にやはり人徳が重ねられていくように心の上に神様に響く。形の上の事は、人間人徳の上に響くんですから。この辺のところをひとつ慎ませて頂くというか、初な心でおらせて頂くというか、いわゆる二重人格なですね、というとあんまり極端ですけれども、する事が全然違ったといったような事を見たり致しますと、もうほんとに百年の恋もいっぺんに冷めるといったような、がっかりするような事でございますから、やはり信心させて頂く者は、そういう所も慎ませて頂かにゃならんと思いますね。どうぞ。